アイマリンプロジェクト
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第9話 音楽家の憂鬱

「残りのメンバーはギターのカトラス、ベーシストのモーレイ、それからキーボードで曲を書いてたレイだ」
「そいつらが辞めた理由……『音楽性の違い』について何か知ってるか?」
「カトラスの兄貴は家族を優先するために音楽を続けられないって言ってたっす」
「モーレイは自分の才能について大分悩んでいたようだったな」
「ふーん……なんか、どれもよくありそうな理由だな」

ボニートとヘリングの言葉に、雑な感想を漏らしたカイト。
アイマリンが聞く。

「……レイは?」
「自分は何も聞いてないっす」

「俺もだな」

「うーん、私も聞いてないんだけど、やっぱりみんなそうか。辞める直前に何かに悩んでたみたいなんだけど、どんなに聞いても理由を教えてくれなくって」
「そういえば、レイはあの頃、新曲を作っていて……ある時までは、えらく機嫌が良かったんだ。すごい新曲が出来そうだって。だけど、急に暗くなっちまったんだよな」
「そういえばそうだったっすね。結局、新しい曲は出来ないまま終わっちまったんですよね……」

うーん、と悩む一同に、カイトは言う。

「まあ、とにかく会いに行こうか。ここで話していても仕方ないしな。どこにいるかは分かってるんだろ?」
「賛成ですけど、いつのまにかカイトさんが仕切っているのは納得いかないですね……」
「……カイトはこのチームの指揮官……違う?」

イチカの言葉をイサナは首を大きく振って否定した。

「指揮官って……《自由機甲楽団》ではカイトさんはただのぺーぺーですよ、なんか態度が大きいだけで」
「ぺーぺー?」

イサナの特殊なボキャブラリーがイチカには分からないらしい。

「右も左も分からないド新人ってことです。あんまり役には立たないです」
「でも、あの《遺跡》の扉やあの竜。あれは、カイトの言葉に従っていた。私も、カイトには何かがあると感じる。……それが何かは分からないけれど」
「む。言われてみるとそうですね……そもそも、アイマリンさんがカイトさんを連れてきたのってどうしてなんです?」
「どうしてだっけな……?」

んー、と首を傾げているアイマリン。

「アイマリンさんも結構アレですよね……大丈夫なんでしょうか、この一行は」
「とりあえず、カトラスとモーレイの居場所は分かるんだろ? 俺たちだけで訪ねてみるから場所を教えてくれ」

***

「というわけで、僕がギターのカトラスです。お見知りおきを、可愛いお嬢さん」

そう言ってイサナの手を握る優男。
異常なまでにサラサラの金髪を腰まで伸ばして、やたらに痩せたその男こそ、アイマリンバンドのギタリスト、カトラスであるらしい。
こんなに痩せていなければ結構美形なんじゃないか、カイトなどは思ったのだがイサナはドン引きしていた。

「ど、どうもです……」

顔が硬直しているイサナと握手を交わすと、くるくると回りながらイチカの方へと移動する。
器用なやつだなー、とカイトは眺めていた。

「そちらのお嬢さんも……はじめまして。貴方と出会えた奇跡に感謝を」
「……よろしく」

くるくると舞い踊り、過剰なまでに喜びを表現するカトラスに対して、イチカは特に感じることもないらしく、普通に握手をしている。

「久しぶりね、カトラス」
「ああ、アイマリン。我が音楽の女神よ。君も相変わず美しい。今日はなんと素晴らしい日なのだろう。秋に染まる葉、冬に舞う雪、春に咲く花、その三種の美が一度に見られるなんて」

わけの分からないことを言いながら、カトラスは舞い踊る。
回転し、ステップを踏み、一々ポーズを決めていくカトラス。 
カイトは口を挟んでみた。

「三種の美っつーのは……アイマリン、イチカ、イサナの三人のことだよな。誰がどの季節に対応してるのかも気になるが……夏はいいのか?」
「夏は嫌いだ! 暑苦しくてかなわん。この僕の長い髪がベタベタとしてしまう悪夢の季節、それこそがサマー!!! あと、蝉がうるさいから嫌い‼︎」

「カトラス……相変わらずだね……」
「そう、僕はいつも変わらず美しい! 美しきギタリスト、カトラスとは僕のことさ!」

ばばっ、とポーズを決めるカトラス。
だが、なぜかカトラスは急に悲しげな表情を浮かべると、俯いて別のポーズをとった。
どうやら悲しみを表現しているらしい。

「だけど美しき女神たちよ、君たちを悲しませることになってすまない。ああ、それこそが僕の罪!」
「……?」
「私たちを悲しませる……ですか?」

言っている意味がよく分からないイチカとイサナ。
二人に向けて、さらなるポーズを披露するカトラス。

「僕は君たちと結ばれることは出来ないんだ……僕は出会ってしまった、僕の運命の女性に。僕に音楽を捨てさせた、罪なあの人……だけど、それすら許してしまう、だって誰も運命に逆らうことなんて出来ないのだから」
「つまり、カトラスは恋人が出来たせいで、音楽が続けられなくなったらしいの」
「貧しさなど、僕たちの愛の前ではなんの障害にもならないと思っていた。だけど、彼女は言った。彼女は不治の病を患い、その治療には莫大な資金が必要だと……だから、僕は得なくてはならない。地を這い、泥水を啜りながらこの手に掴む一枚の金貨が、僕たちの運命を切り開くのだから」
「で、その恋人に言われたみたいなの。病気の治療があるから、その分貯金ができたら結婚してあげるって。だから、今はレストランで働きながらそのお金を貯めてるんだって」

「アイマリンさんの通訳が優秀です」
「一応、バンド組んでたからね。ギタリストとしては優秀なんだよ、こう見えても。ステージパフォーマンスも派手だし」
「うん、それは見てたら分かる」

くるくる回ってポーズを決めているカトラスは、眺めている分にはとても楽しい。
ステージ上では映えることだろう。
あんまり会話を続けたいタイプではないが。

「しかし……なんか変な話だよな、これ」
「あ、私も思いました。『不治の病』なのに治療費っておかしくないですか?」
「……騙されてるんじゃないのか、これ」

カイトの言葉に、カトラスは怒り出す。

「こらっ、そこの蝉ボーイ。僕たちの永遠の愛を否定するとは何事だ!」
「蝉ボーイって。そうは言ってもよくあるだろ、本当は別れたいけど言いだしにくいから、不可能な金額を言って諦めさせる、みたいな」
「そういう風に望まれてもいないのに鳴き続けるところが蝉にそっくりなんだ! そんなことはない‼︎」

「じゃあ一体、どれくらい必要って言われてるんだ? どうせ超高額で、絶対払えないような金額なんだろ?」
「ならば教えてやる。大体このくらいだ」

カトラスが示した額は結構な大金だったが、カイトが予想したほどの高額でもない。

「……あれ? なんか現実的な金額だな」
「予想、外れちゃいましたね」
「分かったか! このムシムシ夏の迷惑虫少年め! 僕は食事を抜き、シャンプーとトリートメントすら少なめにしながらなんとか貯金しているんだ!」
「食事より髪か。こだわりが強すぎる」
「ギタリストだからな!」

ふん、と胸を張ったカトラス。確かに、少しやつれているように見える。だからこそ、長い髪のサラサラ感だけが異様だった。

「カトラス、ちゃんと三食食べて、健康には気をつけないとダメだよ」
「……食事は大事」

アイマリンとイチカがカトラスを窘める。

「アイマリンがおかんのようだ……そしてイチカは単に食いしん坊なだけだな」

アイマリンはカトラスに対して母親のように叱る。

「あんまり無理しちゃダメ。それで、いくら貯まったの?」
「ん?」
「だって、カトラスがバンドを辞めたのって……かなり前だよ? それから働いて、ご飯も減らしてずっとお金を貯め続けてるんでしょ? さっき言ってた金額くらいだったらもう貯まったんじゃない?」
「……僕は知らない」

カトラスはあっさりと言った。

「お金を貯めているのは彼女なんだ。僕は、毎月の給料から三分の二を送り続けている」
「いや、でもそうしたら報告くらい来るでしょ?」
「特にそういうものはない」
「……なんか、やっぱりあやしくなってきたな」

カイトは呟く。

「だからそんなことはないと言ってるだろ、ミンミン蝉人間が!」
「毎回変えてくるのはなんなんだ。まあ、それなら聞いてみたらいいじゃないか、恋人に。今いくら貯まったの、って」

カイトにとっては、特に追いつめるつもりもない発言だったが、その言葉を聞いてカトラスの顔色が変わった。痩せて、ただでさえ青ざめた顔色がさらに青くなる。
大丈夫か、このまま死んだりしないよな、こいつ。

「会えないんだ……僕の半身とは……」
「え? 恋人なんだろ?」
「治療費が貯まるまでは……会うと気持ちが止まらなくなってしまうから会わないようにしようと言われて……それからずっと会っていない」
「連絡くらいは……してるんだよ……な?」
「していない。連絡をすれば会うのと同じことだと言われたからな」
「待て……それはいつからだ?」
「……いつから? いつからかは覚えていない。一年以上前のことだ、記憶が残っているわけがないだろ?」
「そりゃそうか。……待て。ってことは一年以上会っていないのか?」

いやな空気がカイトたちの間に漂う。
イサナが言う。

「カイトさん、状況をまとめましょう」
「そうだな。なあカトラス、ということはだ。お前、記憶の中では会ったことがなく、連絡したこともない、写真の記憶しかない恋人にずっとお金を送り続けているんだな?」
「……言い方に棘があるが、まあ、そういうことになるな」
「分かった。ちょっとこっちで話し合うから待っていてくれ」

「どう思う? イサナ?」
「おかしいです。一年しか記憶が持たないのは誰でも知っています。だからこそ、私は毎日記録を読み返し記憶を焼き付けなおす。アイマリンさんが、バンドのみなさんと久しぶりに会って覚えていられるのも、それが分かっているから、一年経たないうちに必ず会うようにしているから、ですよね」
「そう。私は大丈夫だけど、忘れられちゃうからね」
「だとすれば、カトラスさんの恋人は、なぜ一年以上会わずにいるんですか? 絶対に忘れられてしまうはずなのに」
「もっと変なことがある。カトラスが一年以上恋人に会っていないなら……なんで、恋人のことや金を送らなきゃいけないことを覚えているんだ?」

カイトたちの疑問をカトラスに聞いてみる。
カトラスの返事はこうだった。

「当然覚えている。毎日手紙を読み返しているからな」
「顔は覚えているのか?」
「大丈夫だ、毎朝写真を見ている。変わらず美しいぞ、僕の恋人は」
「そりゃ写真なんだからそうだろうが……なあ、それって……」
「……実在するんでしょうか、カトラスの恋人」
「なにを言う! そう言うならば今見せてやる! 手紙と写真は持ち歩いているからな!」

懐から大切そうに写真と手紙を取り出すカトラス。

挿絵

「確かに美人だが……なんか、妙に作り物くさいというか」
「いかにもカトラスさんの好みに合わせて作られました、っていう感じに見えますね、これ」
「手紙の内容はどれどれ……『私は貴方の運命の恋人。しかし不治の病に冒されています。まずはこの手紙を大事に持ち、絶対になくさないようにしてください。そして、必ず毎朝読み返してください』うわ、妙に説明的で分かりやすい。なにかのマニュアルみたい」
「不治の病の内容には全く触れずに、送金先や方法はやたらと細かく指示が書いてあります……」
「ねえ、やっぱりこれって……」

アイマリンがおそるおそる、という感じで聞いてきたのに対して、カイトとイサナは力強く頷いて声を揃えて言った。

「詐欺」

カトラスは手紙と写真を乱暴に、しかし決して傷などをつけないように器用に取り戻すと怒りの表情で反論する。

「僕は信じないぞ! これが詐欺である証拠がどこにある!」
「いやあ……状況証拠が揃いすぎているというか……」

そこで、急にイチカが口を挟んだ。

「……私はこれを知っている」
「え?」
「これは《EDEN社》が行っている……副業のようなものだ」
「副業?」
「私の戻ってきた記憶の中にあった。《EDEN社》の記憶制御によって、一年以上の記憶は残らないようにしている理由は知っているか?」
「この世界からなるべく変化をなくすこと……ですよね?《クオンタイズ》の目的は、人類を守ることでした。だけど《クオンタイズ》をしたことによって社会にどのような変化が起こるか分からない。だから、その変化をなくし、同じ状態にとどまることによって人類社会を保存する。それが記憶制御がはじまった目的だったはずです」
「そう。イサナは物知り」
「えへへ、照れます」
「だから、記憶は一年でなくなる。そうすれば、同じことをずっと繰り返すことが不思議じゃなくなるから。だけど、その中ではどうしても変化がおきる。たとえば貯金。それが増えていくとおかしなことになる、と考えたものがいた」
「あ、分かったぞ。お金が貯まらないように適当に貢がせてしまえば、変化もなくなるし、ついでに金稼ぎも出来て一石二鳥……そういう副業ってことか」
「うわ、ひどい……」
「悪辣すぎますね、いくらなんでも」
「好みの人間の写真と手紙をでっち上げ、騙されやすそうな人間に届ける。……そんなことで稼げる金額など、大した額ではないが……《EDEN社》内部の人間にとっては悪くない小遣い稼ぎなのだと、隊長……雷魚が自慢げに言っていた」
「……」

イチカの言葉を聞いて、誰も言葉を発することが出来なかった。
しばらく凍り付いていたカトラスが叫ぶまでは。

「騙されたあああああ!!!!!!!!」

誰もカトラスに何かを言うことが出来なかった。気の毒すぎて。
カトラスはぎろりとアイマリンを見る。
その瞳には復讐の炎が燃えていた。

「……アイマリン、君はまだ《自由機甲楽団》にいるんだな。クソゲロ悪徳詐欺ミンミンゼミの《EDEN社》と戦ってるんだな?」
「う、うん」
「僕も一緒に戦ってやる。僕の怒りをギターに乗せて。……なんでもしてやる。僕の純情を弄んだことを、やつらに後悔させてやる!!!! しばらく触っていなかったからブランクはあるが……この怒りで猛特訓して腕を取り戻してやるからなあ!!!!」

***

カトラスをなんとかなだめた後、カイトたちはモーレイの住居を訪ねていた。
モーレイは「入ってくれ」と迎えいれる。その部屋にはベースが飾られていた。
演奏に使うのであろう機材も積んであり、埃一つついていない。

挿絵

「アイマリン、久しぶりだな。はじめまして、モーレイだ、よろしく」

モーレイはそう言うとカイトたち一人一人と握手をしていく。
硬く、分厚い掌。とにかく人の好さそうな男で、あのカトラスの後だったこともあり、まともだったのでカイトは非常に安心した。
イチカはなぜか握手した後、自分の手を見つめて不思議そうな顔をしていた。

「……はは、やっぱりあれは詐欺だったのか。そうかもなとは思っていたが」
「そう言うわけで、協力してほしいんだ。もう三人は助けてくれることになった。あとはあんたと、レイってキーボーディストだ」
「なあアイマリン……俺じゃなくていいんじゃないか?」
「え?」
「逮捕されちまったらしいけど、今のアイマリンバンドには別のベーシストがいるんだろ? 他にもいいベーシストなんていくらでもいる。俺じゃなくてもいい」
「そうかもしれないけど……でも、今の私にはモーレイのベースが必要なの」
「そうかもしれない、って同意しただろ。所詮、俺にはその程度の才能しかないのさ。自分でも分かってる……だから辞めた。辞めたのさ。才能の壁、ってやつだ」

モーレイは、ふ、と皮肉に笑った。

「アイマリンの歌は特別すぎる……レイの作曲だってとんでもない。間違いなく天才だ。カトラスはいかれてるが派手で華がある」

暗い瞳で語り続けるモーレイ。

「ボニートは俺と同じくらい地味だが……クソが、イケメンだったからファンが多かった。ヘリングは……DJと言いながら手拍子をしているだけだった。いるのかどうか分からんが、あいつがいるとなんでか知らんが盛り上がる気がする。なんでか知らんが」
「ねえ、途中からずっと悪口じゃない?」
「とにかく、俺にはバンドにいる資格がない。才能がないんだ。もうベースはやめると決めたんだ」

なんてまともな悩みなんだ、とカイトは思う。
それだけに、なんと言っていいのか分からない。

「モーレイ、お願い。私たちには他に思いつく方法がない。オルカやみんなが死んじゃうの」
「協力してやりたい気持ちはある……だけど……俺は決めたんだ……」

そう言って黙り込んでしまうモーレイ。
イチカが急に不思議そうに言う。

「……さっきからおかしい。貴方はやめたの? やめてないの?」

イチカの言葉に悪意はなく、本当に不思議そうだった。

「貴方がベースをやめたのなら、ここにいるのは時間の無駄。私たちは別の方法を考えなくてはいけない。ベースなしで演奏するとか」
「それは難しい気がする」
「なぜ? ベースというのは何をしている?」
「あ、俺も疑問だった。ベースとか、今ここに来るまで意識したこともない楽器だったし……『これがベースの音だな』って思って聞いたことないし」
「ちょ、ちょっとカイトまで……それは……音楽を支えているというか。リズムとハーモニーを下から支えて……」
「お前ら、全然分かっていないな! ベースの大事さが分からないなんてどうかしてる! ベースは本当に素晴らしい楽器で……」 
「だったらやっぱり不思議。……それならどうしてやめると貴方は言った?」

イチカがじっとモーレイの目を覗き込む。

「う……」
「というか、やめたと言っているけれど、貴方はベースをやめていない。それは何故?」
「どういうことだ?」

カイトが聞くと、イチカは壁にかけられているベースを示す。

「壁のベースは毎日触っている形跡がある。それに、握手した時の貴方の指。楽器をやめていたカトラスとは全く違った。皮膚が分厚くなっている……それは楽器を演奏している人間の指」
「確かに……毎日練習はしているが……」
「だったら、貴方はやめていない。それなら私たちと一緒に弾いてほしい」
「だけど、どれだけ練習しても、これ以上上手くなる気がしない。壁を越えられる気がしないんだ」
「別に、それはどうでもいい」
「え?」

あっさりと言ったイチカの言葉に、モーレイは硬直する。

「貴方が才能の壁にぶつかっているとか、貴方の才能がバンドの中で一番劣っているとか、私にはどうでもいい。アイマリンは貴方がバンドに必要だと言った、だから声をかけているだけ。現時点で必要とされているんだから、そのまま一緒に演奏すればいい」

イチカはまっすぐモーレイを見つめて言う。

「安心して、貴方がこれ以上成長することなんて私たちは期待していない」
「こ、これは……」
「きついですね……イチカさん……悪意が全くないだけに」

モーレイの顔からは血の気が失せていた。

「そ、それでも……俺は、一緒に弾くたびに劣等感が……他のメンバーより」
「それも変。貴方の才能が他のメンバーより劣っているのと、貴方が上手くならないのは全然関係がない。もし他のメンバーが貴方より劣っていれば、貴方は安心するということ? それはもっと変」
「そんなことは……。だけど、俺のことを見ている客なんていないんだ……」
「また変なことを言ってる。貴方はベースっていう目立たない楽器を選んだんだから、目立たなくて当たり前。目立ちたいと思う方が間違っている。そもそも、全員違うことをしているんだから比べる時点で間違いだと言える」
「……」

不思議そうな顔をするイチカ。そこには純粋な疑問しかない。
傍目には可愛らしい表情でありながら、それでいて内容は徹底的な追い込みだった。

イサナ、アイマリン、カイトはひそひそと話す。

「やばいです。モーレイさんの目が虚ろになってます」

「ど、どうしようカイト……モーレイが立ち直れなくなっちゃう」
「俺にあれをどうにかしろと? あんな天然のドS、俺には手に負えない」

見つめる三人の前で、イチカはコテッと首を傾げながら尋ねた。
その姿だけなら天使なのに。 

「以上が私の疑問……どこか違うなら言ってほしい」
「……ないです」

虚ろな瞳のモーレイが、かすれた声を発した。

「違わ……ないです……私が……間違っていました……」
「じゃあ、貴方は私たちに協力してくれるということ?」
「します……協力します……ベース弾きます」
「あ、落ちましたね」

これでいいのだろうか、という疑問は消えないが。

「と、とりあえず……これで後一人、だな……。ちょっと後でアイマリン、フォローしといてやれよ……」
「そ、そうだね。なるべく優しくするようにするね……」

困ったように眉を下げるアイマリン。
部屋にはモーレイの声が響き渡る。
壁に飾られたベースのボディが曇り一つなく輝いている。その持ち主の新たな門出を祝福しているかのように。

「……私が、間違っていましたあああ!」