見上げるほど高い台の上に、アイマリンとイチカは両腕と両足を何らかの拘束によって縛られていた。
どうやら意識はなく、ぐったりと拘束器具にもたれている。
器具は《波》のように淡く光っていた。
「イチカゼロを解析して出来た、抗体プログラムだ。人工知性体エージェントの能力をほぼ完全に遮断する。万が一拘束が解けても問題ないようにこの空間全体にも同様の対抗策を施してある」
「人工……知性体?」
「……人に作り出された人ならざる知性体。世界を滅ぼした人の敵が、あの二人だ」
「人の敵? アイマリンが?」
「人がかつていた世界……地球に住めなくなった原因を作ったのはそいつら人工知性体だ。地球は改変され、人間には住めない世界となった。だから、我々はデジタル化して、この世界に逃げこんだのだ。それだけが生きのびる方法だった」
イサナがはっと息を呑む。
「……まさか……ということは、この《ELEUSIA》の外の世界は」
「当然、今も存在する」
カイトは驚く。考えたこともなかった。《ELEUSIA》に外側があるなんて。
言われてみれば当たり前だ。
この世界が、衛星軌道に廃棄されたスタンドアローンのサーバーの内側に展開しているのだったら。
それが設置された物理世界はそのままのはずなのだ。
「そこは人の住めぬ世界だ。そこは、人類の後に世界の覇者となった人工知性体どもが支配する世界だからな。そして」
カンディルの言葉が、カイトにさらなる衝撃を与えた。
「その二人はそこから送り込まれてきたエージェントなのだ」
「アイマリンとイチカが……外から来た?」
外の世界が存在していただけではなく。
カイトはそこから来た存在をすでに知っていた。
「人類を滅ぼすために。そして、半ば成功した。歌という形のウィルスプログラムをバラ撒くことによってな」
「そんなはずは……」
「では直接、聞いてみるとしようか……抗体プログラム、対象の意識レベルを上昇させよ」
カンディルの声に反応し、抗体プログラムがその光を弱める。両手足の拘束はそのままだったが、アイマリンとイチカはその目を開いた。
台の上にいる二人の元に行くことは出来ず、カイトは大声で呼びかける。
「アイマリン! イチカ!」
「……カイト? どうして!?」
「助けに来たに決まってる!」
アイマリンとイチカは、ひどく複雑な顔をしていた。
カイトにはその感情をうまく読みとれない。
「人工知性体エージェント、アイマリン、イチカゼロ。カイトに答えるがいい。お前達の目的を」
「何度も言ったでしょ! 私にはそんな目的なんてない」
「まあ知らないのだろう。イチカゼロの解析で判明したことだが、お前達がこの世界に侵入するには、意識のない種となるしかなかったようだ。ファイアウォールに引っかからないほどの極小のプログラムとなって。侵入した存在は、人間を観測し、人々が心の奥底で望んでいることを分析し、それを真似る。人の共感を呼ぶために、そのペルソナとなるのだ。ウィルスというよりは、トロイの木馬か」
「人々が望んでいることを……?」
それが、アイマリンが自由を願い、イチカが自分が何者か知りたいと願っている理由なのだろうか。
「人間の中に溶け込んだエージェントは耳障りのいい言葉で、人々を誘惑し、平和に暮らしている人間を社会を破壊する存在へと変える。そこにいるカイトのようにな。まさに悪性のプログラムだ」
「……違う」
「隣にいるイチカゼロもそうだ。彼女は幸いにもこの世界に侵入し、発生した直後に我々が保護することが出来た。我々はイチカゼロを調整し、この世界の役に立つように教育した。にも関わらず、短期間でイチカゼロは世界の破壊者へと戻ってしまった……アイマリンと接触したことが原因で」
「……私はそんなのじゃない。……私は、自分が誰か知りたいだけ」
イチカの言葉を、カンディルは否定する。
「そのような身勝手な自意識こそ罪なのだ。記憶のないこの世界では誰もアイデンティティを持たない。だからこそ、平和に継続することが出来た。それ以上の記憶を求めることは、即座にこの世界の崩壊へと繋がる。現に、人々はまさに記憶の重さに苦しんでいる」
「それは……《滅びの歌》のことですか」
そう言ったイサナへとカンディルは目を向ける。
「そうだ……イサナだったか、君もまた、過去という病に取り憑かれている存在。《自由機甲楽団》の記憶ストレージとして。人でありながら、記憶装置として生きるとは哀れなことだ」
「私は自分の仕事に誇りを持っています!」
「個人の誇りなどどうでもいい。大切なのはシステムの維持だ。長すぎる記憶に人の心は耐えられない。だから、私は当初からそれを制限するように制御をかけていた。私のような《EDEN社》の上層部さえ、例外なく。しかし、ウィルスプログラムはそれを破壊してしまった」
「それが……私の願いのせいだと?」
イサナの言葉をカンディルは無視する。
「幸い、プログラムは完全ではない。完成した《滅びの歌》は、この世界を外部から守るファイアウォールを破壊する。そこまでには至っていなかった……あやういところだった。エージェントは後一歩のところまで辿り着いていた。それこそが、この場所だ」
確かに、レイも言っていた。歌は未完成だと。
「先ほどの質問に答えよう。ここが一体何か。《EDEN統括ライブラリ》をその上に建て、覆い隠そうとしたもの。ここは《ELEUSIA》のコンソール。……管理者権限をこの場所で行使することで、《ELEUSIA》をコントロールするために、私が最初に作った場所」
「……私が作った? カンディル、お前は一体」
「おや? そうか。カイト、お前はまだ《滅びの歌》の影響を受けていないのか。記憶が戻っているのなら、すぐに分かるはずだからな……ふむ、たまには素顔を見せるのも悪くない。私は」
カンディルはID偽装レイヤーを解除する。
そこにあった顔は。
とっくの昔に記憶にはないはずだった。
だが、カイトにも《滅びの歌》の影響がはじまっていたのだろうか。
それとも別の理由があったのだろうが。
それが、誰であるのか、カイトには即座にわかった。
わかってしまった。
「お前の父親だ。実に陳腐だろう?」
「父さん……?」
「久しぶりだな、カイト。まあ、私もつい最近……私自身に《滅びの歌》の影響が出るまで、お前のことも、自分がこの世界の開発者などということは忘れていたわけだが」
そう言ったカンディル……いや、タクミは楽しそうに笑う。
その笑い顔もまた、カイトの記憶の中にある
「先程も言ったが、人間が生きのびられるのはこの世界の内側だけだ。この世界のファイアウォールが破られれば、そこにいるのより遙かに強力な人工知性体によって、人類は簡単に滅ぼされるだろう。カイト、お前をここに呼んだのはそのためだ」
タクミはアイマリンとイチカゼロをあごで示す。
「まずはお前の持つ管理者権限で、そのウィルス二体を消せ。それから、記憶制御を再スタートしろ。それで《ELEUSIA》は平和を取り戻せる。元のように」
「……は?」
タクミの言ったことが理解できず、カイトは呆然とする。
だが、タクミはその理由を誤解して続けた。
「こういう時には記憶がないというのは実に不便だな。忘れているようだが、この世界の管理者権限を付与されたのはお前だ。……正確には、お前にしか付与されてしまった……という方が正しいな。本当は私が管理者となっていれば簡単だったのだが。疑似母体がそれを許さなかった」
「……カイトさんが管理者……《鍵》はやっぱりアクセス権限だったんですね」
「ただのアクセス権限ではない。それくらいなら私だって自分に付与している。問題は《クオンタイズ》の手法だった。神経細胞のエミュレートのために私が作り出した手法は胎児の発生機序を実際に……」
ようやく理解が追いついた時に、湧き出た感情は怒りだった。
カイトは、長々と語るタクミの言葉を遮る。
「消すわけないだろ! アイマリンとイチカは仲間だ!!」
「……話を聞いていたのか? そいつらは人間ではない。人の敵となる存在だ」
「人間じゃなくたっていい。俺はアイマリンと、イチカと一緒に過ごした……それは自由で楽しい日々だった。アイマリンたちが自由を、自分を知ることを望んでいるのは、人の願いを真似しているんだろう。だとしたら……人々は願っているんだ。自由を、楽しさを、歌うことを」
「くだらん……そんなことを許せば、この世界を存続することは出来ない」
「なぜ、そんなことが分かる。……アイマリン、君はこの世界を滅ぼそうとしていたのか? イチカは?」
カイトの問いかけに、アイマリンとイチカは答える。
「そんなことない! 私は……この世界の人が好き。カイトが好き」
「……私もそうだ。カイトといるのは楽しい」
「だったら、俺は父さんよりも仲間を信じる。アイマリンとイチカを解放しろ!」
それは、タクミに対しての言葉だった。
しかし、それを聞いていたのは、この場にいた人間たちだけではなかった。
突如、アイマリンとイチカの拘束が解け、二人は地面へと投げ出されたのだ。
「しまった! 管理者権限か!」
カイトの命令を、この場所が聞いた。
これが管理者権限とやらなのだろうか。
「ちっ、本当に面倒なことだ……単なる機能が、母性に目覚めるなど」
タクミが恨めしそうに呟く。
だが、カイトはそれを聞いている余裕などなかった。
大切なのはそっちじゃない。
「アイマリン、イチカ! こっちに飛べ!」
「カイト、無理なの……この場所じゃ、うまく《波》の力が使えない……それに」
対抗プログラムとやらの力だろう。
だが……それなら……問題ない。
「大丈夫だ! 俺が許可する! 俺を信じろ。早く、こっちへ」
カイトの言葉にアイマリンとイチカは逡巡した。
「カイトのことは信じてる。だけど……」
「私たちが信じられないのは自分自身だ。私たちは……人間ではない……」
イチカは苦しげに言う。
「私たちの力が、人を苦しめてる……それは本当なんでしょ?」
タクミがさっきまで語っていた戯言を、二人は散々聞かされていたのだろう。
「私たちが人を滅ぼすための存在なんだったら……ねえ、もしカイトが私たちを消せるなら」
「その通りだ! カイト、お前の為すべきことを理解しろ! ……お前の権限があれば、全ての記憶を封印し、《滅びの歌》の影響をなかったことに出来るのだ! 人々が助かる方法はそれしかない」
タクミの言葉を聞いて、アイマリンとイチカは俯く。
悲壮な二人の様子。
はっきり言って、今何が起きているのかカイトはよく分かっていない。
探していたはずの父親がいきなり出てきて、カイトがこの世界の管理者だという。
世界を救うために、アイマリンとイチカを消して人々の記憶を封印しろという。
どんな急展開だ。
いきなりシリアス過ぎて、理解が追いつかない……。
今、カイトがするべきことは。
そんなの決まっている。
「待て待て待て! 全員、一旦落ち着いて話し合おう!」
会話だ!
会話をしながら落ち着くのだ。
「あー、まずだな……カンディル……じゃなくてタクミ……というか父さん。うーん、なんて呼べばいいんだ」
「……だったらお父さんでいいぞ」
「い、意外に協力的なんですね……」
思わず呟いたイサナに対して、タクミはふんと鼻を鳴らす。
「管理者はカイトだ。私としてはカイトを説き伏せて協力させるのが一番簡単だ。会話をするのにはやぶさかではない。そもそも、正しいのはこちらだからな」
「まあ、じゃあ父さん……まずは、アイマリンとイチカについて、父さんの言ってることが正しいかどうか、はっきり言ってよく分からない」
「……記憶がないというのは本当に面倒だな」
「じゃあ、本人に聞いてみようか? アイマリン、イチカ、どうなんだ?」
「……分からないの。自分について、知ってることはほとんどない」
「……私も同様だ」
ただ、とアイマリンは言いそえる。
「……前も言っていたでしょ。一番古い記憶はあのメロディ……《滅びの歌》だって。あれにあんな力があったというのは……その人の言っていることが正しいのかもしれない」
「だったらまあ仮に、正しいと思って話をしようか。仮にだぞ、仮に」
カイトの言葉にアイマリンとイチカの瞳がますます暗くなったので、カイトは「仮」だということをなるべく強調した。
「だとしても、ちょっと疑問があるんだ。さっき言ってただろう。アイマリンとイチカは、人々が心の奥底で望んでいることを真似ているって」
「その通りだ」
「だとしたら……アイマリンが自由を望み、イチカが自分が誰だかを知りたがっているのは……みんながそう望んでいるからってことだろう?」
「異論はない。それは人々の望みだろう。だからこそ《自由機甲楽団》などというお遊びに人はこれほど熱狂したのだ」
「だったら、それの何がいけない?」
「……先程も言っただろう、人々の望む姿になるのは、誘惑するためだ」
「それでもいいと思うんだよな。例えば……人が着飾ったりするのと変わらないだろ? 相手が好きそうな格好をするのとかと」
「目的が問題だ。そいつらの目的は、この世界のファイアウォールを開くこと」
「それって、扉みたいなものがあって、それを開けることで、この世界を外に向かって開く、ってことだよな?」
タクミが頷いたので、カイトはもう一度……先程の言葉を繰り返した。
「それの何がいけない?」
「……何?」
「さっき、俺は父さんの言葉で外の世界の存在をはじめて知ったんだけど……まあ、まず驚いた。イサナもそうだろ?」
「え、私?! は、はい……そうですね、驚きました」
急に話を振られてイサナはびくっとしつつも答える。
「驚いて……どう思った? 正直なところを聞かせてほしい」
「私が思ったのは……」
イサナはちらっとタクミの方を伺いなら少し言いにくそうに答える。
「《EDEN社》に支配されていない場所があるなら、そこに移住できないかと思いました」
「おお、俺はそこまで考えてなかった。俺は……そこに行ってみたいなと思ったんだ。つまり……外に開くというのが悪いことだとは思えない……この狭い世界に閉じ込められないで済むなら、そっちのほうがずっといいだろ?」
タクミが馬鹿にしたように言う。
「言っただろう、外の世界は人の住めない世界だと」
「でも、俺たちは元々そこに住んでいたんだろ? どうして住めなくなったんだ?」
「戦乱に伴う徹底的な環境破壊の結果だ。そんな場所で生きのびられるのは人工知性体だけ。外の世界に行きたい、などとのんきに言うが、こちらが出ていくより先に向こうから攻めてくるだろう。滅ぼすために。その時やって来るのは、そのエージェントなど比較にならないほど強力な敵だ」
「それだ!」
カイトはびしっと指をタクミに突きつけた。
「人工知性体っていうのは、本当に敵なのか?」
「……なに?」
「お前が言うには、アイマリンとイチカは、外の人工知性体によって送り込まれてきたんだよな。そして、この世界の人間に合わせて、今のような存在に成長した」
タクミは台の上でこちらの会話を聞きながら立ち尽くすアイマリンとイチカを見る。
「なんというか……敵意のかけらも感じないんだけど」
二人は疲れ果て、髪も乱れてボロボロだ。それでも、二人の美少女っぷりにはなんの影響もない。
とてつもなく、可愛くて綺麗な女の子だ。
しかも、歌っている時はもっとすごいのだ。
「いやだって、こんなに可愛いし?」
「ちょ、ちょっとカイト!」
「……突然何を言う……」
台の上でアイマリンが叫んだ。その頬は赤く染まっている。イチカは俯いていたが、やっぱりその顔も赤い。
「外の世界が送り込んできたのが、こんな魅力的な二人だった……外面だけじゃない。内側だってよく知ってる」
「……カイト……嬉しいけど……そのくらいで……」
「なあ父さん、証拠はあるのか? 人工知性体が俺たちを滅ぼそうとしているという証拠は。……俺には、友好的なんじゃないかって思える証拠ならある。生きた証人が、ここにいるから」
「……《滅びの歌》はどうなのだ。あれこそ、明確な敵対の証拠ではないか」
タクミはそう言ってくると思っていた。だから、もう答えは用意できている。
「さっき、父さんも言ってただろ。歌は未完成だって。それに、そもそもファイアウォールとやらの使うためのものだとしたら、俺たちは単に使い方を間違えただけなのかもしれない」
少々苦しいが、まあいいだろう。勢いで押し切ろう。
とにかく、二人を暗くシリアスな思考から取り戻すこと。
それこそがこの会話の目的。
そして、ここまで来れば。
「アイマリン! イチカ! こっちに飛べ! ……《波》の力を使っていい!」
カイトはアイマリンの瞳を見つめる。まだ頬は少し赤かったが、その瞳はまっすぐにこちらを向いていた。
イチカは……眠たげな瞳が珍しくちゃんと開いている。こちらも頬は赤い。
二人は頷くと、台の上からひらりと飛んだ。《波》の軌跡を残しながら、ひらりとカイトのそばに着地する。
これで、ようやく二人の救出という目的の一つを達成することが出来た。
「これは……?」
アイマリンとイチカが目を合わせる。
二人だけには何かが聞こえているらしい。
「あの遺跡と同じ。ふしぎぱわーで、歌が聞こえはじめた」
「多分、カイトが今、《波》の力を許可したから……それに」
アイマリンが、ぽつりと言う。
「……足りなかった音が、わかる」
「アイマリンさん、それは……《滅びの歌》の」
「うん。……すごい、カイトの言う通りだった。これは、ああいう風に使うものじゃなかったんだ」
何も聞こえていないカイトにはさっぱり分からないが、アイマリンとイチカは納得している。
「……カイトが望むなら、私たちは扉を開く」
イチカの言葉を聞いて、タクミが叫ぶ。
「やめろ! そんなことをすれば、この世界は滅びる!」
「大丈夫。カイト、お願い、信じて。今、分かったの。私たちがここにいる目的が」
アイマリンの言葉には確信が満ちていた。
「——私たちは、ここの人たちを助けに来たんだって」
「信じるよ」
「そんな簡単に信じちゃっていいの?」
「簡単じゃない。だって、俺たちは仲間だろ? 色々あったけど……色々あったから、アイマリンのことは信じられる」
「……私は」
「そりゃ、もちろん、イチカもだ」
「ちなみに私はどうですか?」
「イサナかあ……イサナは貴重な仲間だよ……ふしぎぱわーを持たない枠という意味で」
「私だけニュアンスが違う!」
「冗談だって。イサナも大切な仲間だ」
カイト達の会話を遮ったのは、タクミの声だった。
その声に、先程までの昂ぶりはない。
不思議なほどに落ち着いた声だった。
「……カイト……本気なのか」
「本気だよ」
「そうか……ならば、勝手にするがいい。どうせお前が決めたなら、誰も止められない……止めるつもりもないんだろう?」
タクミは誰もいない方に向けてそう問いかける。
ただ、反響だけがそれに答える。
タクミはそれを聞くと、床に座りこんだ。
「じゃあ、さっさとやれ」
「なんであの人が仕切ってるんですか……ああいうところ、カイトさんの父親って感じですね」
「はあ? 俺はあんな横暴じゃない」
「……ごめんカイト、ちょっと分かるかも」
「……賛同する」
不満そうな俺をよそに、アイマリンは真顔になると、大きくイチカへと頷いた。
イチカも頷く。
「じゃあ、はじめるね」
二人は、歌いはじめた。
よく知っている旋律。だけど、それは今、確かに満たされていた。
《波》の光がアイマリンとイチカから湧きだし……それは、空間そのものを埋めて——
——光が、景色の全てを飲み込んでいった。
***
「あっ、起きた」
瞼を開ければ、光が差し込んでくる。
金色の長い髪が目に入る。
その後ろに見えるのは……青い、青い、空だった。
《ELEUSIA》にも青空はある。だが、それは屋外で、晴れという気候に設定されたテクスチャでしかなく、どこか薄っぺらい印象を与えるものだった。
今見ているものは全く違う。
どこまでも吸い込まれそうな、深い青。
起き上がり、周りを見回す。
空よりもさらに深い色の何かが周り中に広がっている。
それが立てる音と、風の匂いで、カイトはそれが何かすぐに気付く。
(海だ)
《水晶宮》に向けて飛び込んだ《果ての海》とはまるで違う。
穏やかで……それでいて圧倒的な力強さを感じさせる光景。
今、カイトは巨大な海の上に浮かんだ巨大な建物の上にいた。
外だが屋根のある半開方状態となっており、そこにいくつかの椅子が据え付けられている。
カイトはその一つで寝ていたらしい。
他の椅子にはアイマリン、イチカ、イサナ……そして、タクミが座っている。
そして、そこにいたのはそれだけではない。
「ここは……外?」
【その通りです。遭難者カイトは他の遭難者より理解が速いようですね】
なにやら妙な響きの声がカイトの呟きに答える。
【遭難者タクミなど、なかなか納得してくれませんでしたが】
「当たり前だ。こんなにも違和感のない外の世界用の肉体が用意されているなど、簡単に信じられるか。技術的詳細をもっと寄越せ」
【アバターに合わせた肉体を用意するなど、こちらでは当然の技術です。《転換期》……貴方たちの言うシンギュラリティ以降、どれほど月日が経ったと思っているのですか。そちらの常識で考えられても困ります……詳細情報については遭難者カイトへの説明が終わり次第お送りします】
タクミと会話をしているのは……奇妙な代物だった。
あえていうならば、人間より少し背の高い樹……だろうか。ただし、その枝は色とりどりで、しかも全体に光っている。
その光る樹には目などないのだが、どうやらカイトの視線に気付いたらしい。
【はじめまして、グレートコーラルと申します。遭難世界《ELEUSIA》救出ミッションの責任者をしています。貴方たちの言うところの人工知性体です】
「ええと……遭難? 救出?」
首を傾げたカイトに声をかけたのはイサナだった。
「カイトさんには、私が解説しますね。先程も説明を聞いて、ようやく理解できたので」
「グレートコーラルって、なんか話が分かりにくいからね」
「……イサナが適任」
アイマリンとイチカが頷く。
【少々傷つくのですが。枝が折れちゃいますよ、珊瑚は繊細なんです】
「ええと、まず、カイトさんが思っている通り、ここは外……ですが、地球ではありません」
「え?」
いきなりイサナの言い出したことが理解できなかった。
【ここはケンタウルス座α星Bb……テラフォーム率は99.999%……ファイブナインを達成しています。現時点で純粋地球人が居住するのにはこれ以上の環境はありません】
「つまり……イサナ、どういうことだ?」
「《ELEUSIA》のサーバーはとっくの昔に外の世界によって発見されていたそうです。その中にデジタル化した人類を発見した彼らは、現状、居住するのに最も適したこの星にサーバーを移設すると、救出ミッションを開始しました」
【サーバーは旧式ながら厳重に暗号化されており、無理にアクセスすると内部の人類に危険が及ぶ可能性が高かった。そのため、我々はエージェントを派遣しました。少々トラブルはありましたが、まあ大体無事に終わりましたね】
「で……ここは……?」
【この《ニューモルディブエリア》は惑星でも屈指の人気リゾートとなっています。新婚旅行にも大人気です】
「救出された人間をもてなすために、環境のいいところを用意してくれようです……」
「その救出された人間ってのが……俺たち?」
「ということみたいです」
「ちょっと待て、俺たち以外は……《ELEUSIA》はどうなってるんだ?」
【サーバーはハイバネーション状態にあります。プロトコル設置プログラムがサーバー内に及ぼした影響は予定外のものでした。不具合を解消できるまで、地球自転単位で三日ほどかかる予定です】
「……イサナ、お願い」
「《ELEUSIA》の時間を止めているそうです。《滅びの歌》の影響を取り除く方法が見つかるまで。私たちはテストケースとして試験的に身体を与えられています」
「身体を……」
カイトはつんつんと自分の身体をつついてみる。
まるで違和感はないが、これはどうやら外の世界用に作られたものらしい。
【純粋地球人に合わせる形で設計されていますが、必要でしたらカスタマイズも承ります。羽根をつけたり、尻尾をつけたりとか】
「は、はね……? しっぽ?」
【なんでも出来ますよ。何をしても自由です……不具合解消後でしたら、元の世界に戻っていただくというのも出来ます。まあ、私としてはせっかくですのでその前にこの惑星を観光してほしいところですが。ケンタウルス座α星Bb海鮮食い倒れツアーなどおすすめです】
カイトはアイマリンを見つめる。自分をこの場所へと導いた少女を。
「なあ、アイマリン……聞いたか?」
「うん、カイト、聞こえたよ」
「……私にも聞こえた。海鮮食い倒れツアーと」
「イチカ、今ちょっといいところだから、海鮮の話はまた後でな」
「……むっ」
イチカは不満そうにしているが、カイトは気を取り直してアイマリンに向き直った。
「……自由だってさ」
「何をしても自由」
「……海鮮を食べても自由」
「イチカさん、ちょっと静かにしてたほうが……」
「そうだ、この青臭いくだりをさっさと終わらせろ。私は早く技術的詳細についてグレートコーラルに聞きたいのだ」
「タクミさんも勝手に仕切るのやめてください」
「……ねえ、もう一回やりなおしていい?」
カイトが睨み付けると、問題児たちは流石に黙った。
「自由なんだ。何をしてもいい。……やっと、辿り着いた」
「そうだね。カイトは何をしたい?」
「そうだな……まずは……こんな青空の下で、アイマリンの歌が聞きたいな」
金色の髪の少女は柔らかく笑う。
「よし、終わったな。さあ、グレートコーラル、話の続きだ」
「……私は海鮮を要求する」
「イチカさん、そこは一緒に歌おうっていうところじゃないんですか……」
「……歌も歌う……」
そう言ったイチカをアイマリンが笑い、それにつられて誰もが笑った。
アイマリンが歌いはじめる。
これから何が起こるのかは分からない。
だが、今、高らかに歌うことを止めることは誰にも出来ないのだ。
カイトも、アイマリンに声を合わせて歌い始めた。
そこにイチカが……イサナが……タクミとグレートコーラルまでも加わる。
その声を乗せて、海風はどこまでも遮ることなく渡っていくのだった。